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メッセージノート(12月15日)

便箋引用聖句(ルカ1〜)

 

ヨハネの出生とイエス誕生の始まりが書いてある貴重な箇所です。クリスマスシーズンはルカ2章からのメッセージが多いのですが、1章も重要です。神からの喜びの知らせを伝える天使ガブリエルが登場!

 

後半のマリアの賛歌とザカリアの預言を読むと聖書の一貫性を証明しています。難しく考えないで、メシアの誕生を一緒に喜びましょう♪



2018.12.16 Sunday 13:45
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【事の起するところはここにあり、帰するところもここだ!】
(雅歌2:10-14)
私の愛する方は、私に語りかけて言われます。「わが愛する者、美しいひとよ。さあ、立って出ておいで。ほら、冬は過ぎ去り、大雨も通り過ぎて行った。地には花が咲き乱れ、歌の季節がやって来た。山鳩の声が、私たちの国に聞こえる。いちじくの木は実をならせ、ぶどうの木は、花をつけてかおりを放つ。わが愛する者、美しいひとよ。さあ、立って、出ておいで。岩の裂け目、がけの隠れ場にいる私の鳩よ。私に声を聞かせておくれ。あなたの声を聞かせておくれ。あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい。」

【チョッと一言】
人間を慕う神(ヤーウェ)と一つになるのは、神(ヤーウェ)を慕う人間だけである!神が愛情いっぱい込めて人を創造されたとき、人間に対して、人間であること以上の何も、それ以下の何も、それ以外の何も期待されていない。どんな性格、人格も、相手が聖なる神では比較対象にはならない。能力も、相手が全知全能の神では、比較対象にはならない。信仰の強い弱い、薄い篤いも、神と人とを繋がない。究極のところ両者を結ぶのは唯一、慕い合い&#8644;慕い愛である。永遠に神が神であるように、永遠に人は人であって善い!神&#8644;あなた!そこに徹して互いに慕い合えば、善いこと。完全な信仰とは、完全な親交だ!この関係は天地創造以前に始まったが、十字架の贖罪がそれを確証することになった!雅歌で表現される美しいひと、愛する者、鳩、花、いちじくとは、あなたのこと!神が人となったイエスは、永遠に神と人との違いを超えて互いに交わす生命の復活。結ぶ帯の締め直し。堅固な絆です。



2018.12.15 Saturday 06:28
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【教会はイエスの名を公に言い表せ!】
(汽茱魯4:1-2)
愛する者たち、どの霊も信じるのではなく、神から出た霊かどうかを確かめなさい。偽預言者が大勢世に出て来ているからです。イエス・キリストが肉となって来られたということを公に言い表す霊は、すべて神から出たものです。このことによって、あなたがたは神の霊が分かります。

【チョッと一言】
日本が信仰のない国、不信仰な国だと思う人は一般の人の中にも結構います。八百万の神という概念は、「神とはこれ」という定義も概念も持ってない」ことを世界に露呈しています。だから宗教戦争が起きにくく、みんなと仲良く出来るんだとまで言い出す人もいる。これから終わりの時代は、ますます宗教の世界は混迷します!新聞の広告や本屋さんの陳列、テレビ、ラジオで、チラシで新顔の宗教家が続出。はやし立てる。不思議なことや奇跡は偽キリストでもやってみせる。

こういう背景にいる日本の我々クリスチャン。聖書を唯一無二、唯一絶対の天地創造の主なる神からの啓示と信じ、イエスこそが全人種の主=キリスト=メシアと本気で信じているんだから、日本語では聖書の神を表す単語はないのに「神様神様」って、メッセージや会話で連発しないで!祝祷や祈りの最後に「イエス」という名をチョコっと出して締めないで!イエスの名を公の前で堂々と、連発しようよ!


2018.12.14 Friday 06:28
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【異邦人の教会全体も知っていただきたい!】
(使徒言行録4:8-12)
そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った。「民の議員、また長老の方々、今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば、あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが死者の中から復活させられたあのナザレの人イエス・キリストの名によるものです。ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」

【チョッと一言】
ペンテコステの祭りの日、突然イエスを慕う一人一人に主イエスの霊が降りました。その流れで、聖霊に満たされたペトロとヨハネは「美しの門」で出くわした生まれつき足の不自由な男性に「イエスの名によって」歩き出すよう宣言した途端歩き出し、エルサレムの町中が大騒ぎになりました。そのとき、時の政治、宗教の指導者たちに尋問を受けました。そのときの弁明の一節です。

後にも先にも「この主イエスだけが世界のキリスト=メシア=救い主」です!ペトロもヨハネもキリストではありません。その力は主イエスからの借り物です!現代の教会にも言えます。「聖霊の油注ぎ」とは、主イエスの働きを展開するための主イエスからの借り物です!今も昔も指導者たちは人間です。自己高揚の誘惑に駆られてはいけない!信徒達も、指導者たちを神格化してはいけない。さもないと、教会こそが、異教徒たちより偶像崇拝が敬虔を偽装して入り込んだ世界となる!


2018.12.13 Thursday 06:28
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【語り尽くせないキリスト・イエス!】
(汽茱魯1:1)
初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。

【チョッと一言】
創世記とヨハネによる福音書の一章一節は「初めに」、今朝取り上げたヨハネの手紙一章一節は「初めから」で始まります。「初め」とは「天地万物が現れる以前に」という意味です。その「初めからおられた方」そして、人を創造された命の神が、自分も人と同じように人の体を持って女から生まれ、イエスを名乗られたのです。それは、顕微鏡の世界から望遠鏡の世界、目に見えるものから、見えないあらゆるものを創造し続け、統べ治めている創造主が、「俺こそは」と威張るのではなく、御自分が創造したどんな被造物とも、特に人と同じ目線に立ち、肩を並べ、親交を温めるためでした。

そういうわけで、イエスさまについて、その高さ、広さ、深さ、長さについて誰も理解できないし、誰も語り尽くせる人は出て来ないでしょう!世界もこの方についての書籍を収めきれないでしょう!

でも、生かされている間、私なりに何とかしてこのイエスさまについて聞きたい人に語り伝えたいのです。


2018.12.12 Wednesday 06:27
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【決して孤独にはしない!それが主イエスが下さる平安◆
(ヨハネ14:25)
わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる・・・ことが起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。

【チョッと一言】
天地創造の前に、既に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようとキリストにおいてお選びになった(エフェソ1:6)神は、十字架と復活で罪と死からの贖いを完成して弟子たちの前に再び現れ、亡霊ではないことを示されので、弟子たちの喜びも信仰も生き返りました!さらに続きます。父と子イエスが本質において同一であるのに加えて、もう一人のイエスの到来を伝えられました!別の弁護者=聖霊とは、同じもう一つの意味です!三人で一人前とか、三人が協力し合ってではありません。イエスの体は、十字架と復活で人として終了。次は、贖われてイエスと一体とされたわたしたちの体に聖霊として共にいて下さることになりました!「主イエスへの信仰」が、「主イエスとの親交」になります。聖書の随所に主イエス発見するようになります。

「聖霊の時代到来!」とうたっても、そうならないなら、御利益の善悪論の病状がもっと酷くなり、律法主義の霊や人間好みの宗教心の霊でキリスト・イエスとの固い絆ではなくなる。


2018.12.11 Tuesday 06:27
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【決して孤独にはしない!それが主イエスが下さる平安 
(ヨハネ14:1-3)
心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住まいがたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。

【チョッと一言】
主イエスは、いよいよ罪人らの手にかかって捕らえられ、十字架にかかる受難の日が近づいてきたので、彼を慕う弟子たちがどんなにか動揺するだろうことを思い計り、「私は、チョッとしばらく離れるけど帰ってくるから心配しないように」と、前もって言い伝えられました。「父の家」「父がいて、わたしもいるあなたがたの場所」とは、もちろん死後に行く天国を用意しに行ってくるからではなく、罪と死の法則に定まった我らの体を十字架で消し、あなたの体を聖なる都、義の神殿として清め、住まわれることを指して言われたのです!十字架の贖いの後三日目に生き返って住まわれる場所が準備万端整いました!約束どおり彼らのもとに生還されたのです!

神を慕うあなたを決してみなしごにはしない!イエスさまにしか出来ないことです!



2018.12.10 Monday 06:27
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【主イエスに会う前に、聞かれるか聞かれないか決まってるぁ
(ルカ18:1:43)
イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。群衆が通って行くのを耳にして、「これはいったい何事ですか」と尋ねた。「ナザレのイエスのお通りだ」と知らせると、彼は、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫んだ。先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます・・・と叫び続けた。イエスは、立ち止まり、盲人をそばに連れてくるよう命じ・・・「何をして欲しいのか」とお尋ねになった。盲人は「主よ、目が見えるようになることです」。そこでイエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った」盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。

【チョッと一言】
これも実話です。(35〜43節)。目の見えなかった人だが、イエスさまのことを「神ってる人」程度ではなく、最近流行の「預言者もどき」とか「宗教家」としてではなく、「この方こそ真のキリスト=メシアだ!」と見抜く視力を持っていました。そうだと分かったからには、降ってきたチャンス逃すものかと、周囲が「やかましい!」と止めに入っても叫び続けた。「御心を伺って」とか宗教的うやうやしさや順番待ちの社会常識を超えてお構いなし。他の事例では「心密かに」のケースもあるけれど、この人の性格からして「絶好のチャンスだ!「絶対聞いてもらうぞ!」の決め込んだ一心の意気込みが、主イエスの心を自分に向けさせた。生来の地で行って良かった!


2018.12.08 Saturday 06:28
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【主イエスに会う前に、聞かれるか聞かれないか決まってる】
(ルカ18:1-43)
ある議員がイエスに、「善い先生、何をすれば、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と尋ねた。イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに善い者はだれもいない。『姦淫するな。殺すな。盗むな。偽証するな。父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」すると、議員は、「そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。これを聞いて、イエスは言われた。「あなたに欠けているものがまだ一つある。」持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。しかし、その人はこれを非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。

【チョッと一言】
たとえ話じゃなく実話です。神の本性は、本質的に人とは違います。我々の場合、たとえ自分が善を行い、悪を退けるのに尽くしたとしても、落ち度だらけ。神の標準は、それが出来ない人の分まで満たしてあげられるほどいっぱい。それが神の完全な聖と義と愛。イエスさましかいない!この男、その人間並みなのに自信満々。「子供のころから守ってきました。まだ他にやるべきことがあれば言ってください」と抜かした。主イエスは、自信満々の分も「足りんだろが!」と諭すと同時に、「出来ないことがあるぞ」と、この男の頼りの「お金」に触れて気づかせられたのでした。

富それ自体は罪悪ではない。ましてや「天に宝を積むとは、献金の勧め」ではない!正しい生活が一番でもない。神信仰だって高慢稚気になればオジャンだ。その人自身の日頃の態度一つで善でも悪になり、悪さえ善になることもある。時と、場合と、使い道と相手による!


2018.12.07 Friday 06:28
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【主イエスに会う前に、聞かれるか聞かれないか決まってる◆
(ルカ18:1-43)
・・・「イエスは次のたとえを話された。『・・・ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』ところが徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、そのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」

【チョッと一言】
こういう個所を読んだら「ヘリ下りなさい」との教え指導を直ぐやりたがる。裏を返せば、言ってる自分が思い当たる節があるから、敏感に反応してる、と言える。このファリサイ派の人格は我々みんなに、大なり小なり、強弱の違い、思う回数の差、高慢の専門分野が人それぞれであるだけで、大差ないことに気づく。

この徴税人は教えられ、指導されてではなく、日ごろから、「そうだ!」と、神の前に出る前に資格なしと気づいてる。それよりは開き直って「私はこんなもんですけど宜しくお願いします」のほうがイエスさまは嬉しいはず。


2018.12.06 Thursday 06:27
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