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【イエスさまに結ばれる】
(ロ-マ5:20-21)
律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。

【チョッと一言】
パウロは、「律法が入り込んで来たのは」と言いますが、厳密に言えば、アダムが、神が「取って食べるな」と警告された善悪の知識の木の実を取って食べて人間の方から選んだ道ですが、これこそ“前もって知る全知の神の知恵”です!神は“何でもできる全能の神”です。なのに、敢えて罪を犯さないように人間を造られなかった。

何故?長く生きれば生きるほど、活躍すればするほど、人の罪過ちは増える。でもイエスさまの十字架を見上げる途端に罪を帳消しにしてもらえる。神は一つ一つ忘れてくださる。イエスさまの義、聖をそっくりそのままプレゼントされる。この恵みを味わうためです!長く生きれば生きるほど、恵みが増える。永遠に生きるとは、イエスさまは永遠に私のキリスト・救い主であり、私は永遠に赦され愛されてる罪人だということです!


2017.06.27 Tuesday 06:29
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【イエスさまに結ばれる─
(ロ-マ5:15-19)
恵みの賜物は罪とは比較になりません・・・裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下される・・・一人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。

【チョッと一言】
イエスさまの生涯は、神に創造され、神に向かって父と呼べる人間にとってあるべき従順な姿の完全です。あのイエスさまだからこそ、十字架にかかられたことは、アダム以来の不信心と数多くの罪を重ねてきた神の子たちを赦し、義とし、正しい者とみなされる栄誉にあずからせるに十分でした。実にイエスさま一人で、あなたの全生涯の罪の全部を義とし正とし、聖なるあなたに永遠の命を取り戻せたのです!

せっかくの救いをあなたの不十分な信仰や不完全な義で邪魔してはいけないんです!惜しみなく感謝し、思いっきりたたえようよ!


2017.06.26 Monday 06:29
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【イエスさまに結ばれるА

(ロ-マ4:6-8)
同じようにダビデも、行いによらずに神から義と認められた人の幸いを、次のようにたたえています。「不法が赦され、罪を覆い隠された人々は、幸いである。主から罪があると見なされない人は、幸いである。」

【チョッと一言】
創造主なる神は、人が住める環境を造った後、人を創造され、地球の一角エデンに置かれ、存在するようになったのだから、神ってどういう方なのかを知りたくなるのは当然至極の当然だと考えます。

アブラハムもダビデも神を知る幸いを掴みました。両者共に、神の声を聞いたら、疑わず信じ込み、直ぐ応答する行動する人たちでした。それ以外では、一般人より罪過ちも犯罪も多かったにもかかわらず、神へのその態度と心構えが神に義とされたのです!神との1対1の間では、赦されるだけではなく、覆い隠してくださる!

でも一番の驚きは、対人関係では罪を犯してから無罪か有罪か、赦すか罰するかが決まるが、神と人との間では、人が罪を犯す前に罪なしとされていることです! 母親の胎内に生まれついたときから?天地の始まる前に前もって先に赦し、帳消し、自分の側では先にスッキリし忘れていてくださる!神は全知で全能、義と聖、愛と赦しの神だと知れ!それが十字架の奥義だ!



2017.06.24 Saturday 06:29
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【イエスさまに結ばれるΑ

(ロ-マ4:1-5)
アブラハム・・・もし、彼が行いによって義とされたのであれば、誇ってもよいが、神の前ではそれはできません。聖書(旧約)には何と書いてありますか。「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」とあります・・・不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。

【チョッと一言】
聖書では、義とは、罪がその人の全生涯のどの瞬間、どの状態でも一欠片(ひとかけら)もない完全(完善)状態を言います。人間のレベルでいう“良いとこも悪いとこもある”っていうのじゃないばかりか、善人どころの話じゃない。

さらに凄い!聖書に出てくる天地万物の創造者にして救い主なる神は、人間が、働きすなわち“良い行いはなくても、イエスさまが私の義だと信じ込めば、神はその人を実体は、人格の中身はそうでなくても“義”と見なしてくださるんです!



2017.06.23 Friday 06:29
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【イエスさまに結ばれるァ
(ロ-マ5:9-11)
それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのはなおさらのことです。敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのは、なおさらです。

【チョッと一言】
誇る者は主を誇れ!感謝に溢れて!

信仰がないときにも愛されていた!信仰が弱かろうが強かろうが神は怒ったりされない。祝福に差別もない!むしろ、信仰もまた、自分が信じたようで、その実、イエスさまの信仰で生かされているんだから。最近、救われた後の信仰生活の指導では、条件付きにしてしまう。何故?イエスさまの聖霊にではなく、自分の霊で、自分の性格や好み、目線で人を見下すからです。言い換えれば、自分が人を愛するときは、条件付きでしか愛せないのです。それが人の世。私たちは人間!

皆の衆、イエスさまだけを誇りと自信持って伝えよう!


2017.06.22 Thursday 06:28
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【イエスさまに結ばれるぁ
(ロ-マ5:5-8)
希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった・・・わたしたちがまだ罪人であったときキリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。

【チョッと一言】
神は、人を個別に愛して創造されました。神の側では、人の信仰が弱いどころか、信仰のない頃より遙か先、すなわち天地創造前に十字架にかかり、赦し、罪と死の罰から救う心構えで予定表、シナリオは出来上がっていました。

イエスさまにおいて自ら十字架の死の刑を率先して引き受けられた程の神です。その事実を今イエスさまをこの目で見れなかった私たちには、イエスさまが聖霊によって、私たちの心(知性と意志と感情)と体に気付かせてくださいます。神の救いは、あの罪、この過ちどころか、聖なる神は人の内に生まれつき深く潜在している「自己=自我」という神への対抗心、自分を神とする本質、罪人性にまで十字架で贖われました。

イエスさまは御自分の従順によって私たちを長い間縛っていた「自己=自我」をも贖ってくださった!ということは、私の「自己=自我」を抹殺しないで有効利用して活かしてくださる完全な贖いです!


2017.06.21 Wednesday 06:29
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【イエスさまに結ばれる】
(ロ-マ5:1-2)
このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエスキリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。

【チョッと一言】
パウロが送ったローマの教会への書簡は新しく生まれた教会という共同体の根本教理です。律法によって義とされようとする人は、律法全体を行う義務があるのです。律法全体を一点一画まで、また一分一秒の途切れもなく完璧に実行されたのはイエスさまだけです!信じた私たちの代わりに実行してくださったイエスさまは、信じても守れなかった私たちの落ち度、罪の刑まで受けてくださった!そのことを感謝してイエスさまを迎えれば、完全実行者がもらえる神の栄光をいただけます!これを恵みと言うのです。神との和解、平和も成立します。

そういうわけで、イエスさまを信じても、途中で、「善行で或いは信仰が強ければ、祝福される」と説くならば、イエスさまの十字架を台無しにすることになリ、神を偽り者とすることになる!不信者より悪い輩です。イエスさま信じても、律法を守ることで義とされようと逆戻りするなら、キリストとは縁もゆかりもないものとされ、いただいた恵みも失います。


2017.06.20 Tuesday 06:29
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【イエスさまに結ばれる◆
(ヨハネ3:17-18)
神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。

【チョッと一言】
是非とも分かって欲しい。主なる神は罰しよう罰しようと構えている神じゃない。赦す神であり、救う神です。イエスさまを「私に差し出された神の救い」と信じ受け止めるだけで、良い行いがなくても救われる。イエスさまの身代わりの良い行い、身代わりの罰のおかげです!何より何より凄い恵みは、相変わらずの人間なのにイエスさまに連なる神の子として新しく生まれたのです!だから「罰っされない」というのは、あったり前!信じる皆が一様に分け隔てなくもらえる神の贈り物です。こんな有り難い実話がどこにある?

人とは、ギリシャ語でアンスローポス。「神に向けて造られた」との意。アウグスチヌスのように、告白しよう。「神よ。私たちはあなたに向けて造られているので、あなたのもとに憩うまでは、安らぎを得られないのです」と。 罰当たり思想では神の意志ではない。神の性質に反する!生きてる間、それはイエスさまにおいてだけ可能です!


2017.06.19 Monday 06:29
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【イエスさまに結ばれる 
(汽灰螢鵐1:30)
・・あなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いになられた。

【チョッと一言】
イエスさまを私の義であり、聖であり、贖いであると信じること以上の、以外のどんな知識も、知恵も、カウンセリングも、指導も要らないと確信します。そんなものは十字架を空しくする!十字架は愛だけではないんだ。十字架ほどの力、権威、威光は他にない!十字架だけを信じる者には霊の戦いは終わった!

そこで言いたい。十字架の力は、信じない者にとって愚かだと思う人が多いかも知れないが、私はイエスさまを信じている者にこそ愚か者が大勢いると思う昨今です。聖書の全体、一言一句は、十字架の贖いに集結されているのにイエスさまの教会の中に、聖書からとはいえ聖書の語句を「字義通り」ではなく、「字面だけ取って」様々な教理を作って教え、神に従っていると自信満々になってる。

私のイエスさまは、十字架で息を引き取る際に、「完了した。」「成し遂げられた。」「It is finished」 と叫ばれた!十字架からズレちゃいかん!イエスさまより偉い奴はいないんだ!


2017.06.17 Saturday 06:29
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【神の愛、それはイエス!十字架!ぁ
(競謄皀4:7-8)
わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。

【チョッと一言】
パウロが言った信仰の戦いとは、律法を守ることで罰を免れ、祝福を得られるとする善悪論の律法主義のこと。初めっから人間には無理な試みであり、神の意志ではない!一点一画も漏れず完ぺきに実行されたイエスさまを信じ受け入れるだけで神の義をもらえるとの信仰を持ち続けるには自分の内に根を張ってる律法主義は強敵。イエスさま信じ受け入れても、逆にもっと律法的にさえなる。最後までイエスさまによる恵み信仰を貫くには、パウロみたいに自分との戦いが続く。

決められた道とは、世に「イエスさまだけが唯一無二の完全な罪の贖いだ」と首尾一貫、徹頭徹尾、信じ通すこと。たとえイエスさまを信じ受け入れても、それは聖めへの第一歩だとする人は、今まで使っていた“神さま”とか“主”という呼び名を使い続けるので、昔のイスラエル以上に、より一層の律法主義になり、抜け出せない。


2017.06.16 Friday 06:30
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