教会情報や近辺の情報などをUPしています♪
Calendar
S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728   
<< February 2018 >>
NewEntry
Profile
Category
Archives
Comment
Search
Link

日本時間(Japan Time)
天気情報
Favorite
Mobile
qrcode
Sponsored Links
【命の木と善悪の知識の木(26)その正体-b】
(ヨハネ9:24-28)
・・・「あの者はお前にどんなことをしたのか。お前の目をどうやって開けたのか。」彼は答えた。もうお話ししたのに、聞いてくださいませんでした。なぜまた、聞こうとなさるのですか。あなたがたもあの方の弟子になりたいのですか。」そして、彼らはののしって言った。「お前はあの者の弟子だが、我々はモーセの弟子だ・・・・。」

【チョッと一言】
目の見えるようになった人が言い返した。「あなたがたもあの方の弟子になりたいのですか」の逆襲。痛快極まりない!誰につくか。誰の弟子か。信仰熱心な人にありがちだ!主が、エデンの園で神の子一号のアダムに「取って食べるな」と禁じられた「善悪の知識の木の実」の正体の一つにこれも挙げれる特徴。!ファリサイ派だけじゃない。一部を除いて当時のユダヤ人(イスラエル人)社会全体が狂った!人となった創造主、約束の救い主・恵みのイエスより、律法の授与者モーセにしがみついた。モーセも超迷惑な話。ついにイエスを十字架につけて殺すというとんでもないことをしでかしたのは聖書の専門家とその追従者たちだった。

でもそこに神の恵みの救いの計画が見込まれていたのです!聖なる神は罰する神ではなく、どれだけでも赦し、熱く包み、絶対に我々の罪の悪臭に身を仰け反らさず、しっかり強く抱きしめる神です!

我々も「誰々先生の弟子」「戒律主義の教えにはまらず」「どの教会のメンバー」だと極端に自慢するのは止めたがいい。厳密に言えば・キリスト教という宗教の信者じゃない!イエスの信徒でもない。人となった神イエスの弟子で十分だ。それが教会。


2018.02.21 Wednesday 06:29
今日のことば comments(0)
【命の木と善悪の知識の木(25)その正体-a】
(ヨハネ9:24-28)
さて、ユダヤ人たちは、盲人であった人をもう一度呼び出して言った。「神の前で正直に答えなさい。わたしたちは、あの者が罪ある人間だと知っているのだ。」彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、私には分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」すると、彼らは言った。「あの者はお前にどんなことをしたのか。お前の目をどうやって開けたのか。」彼は答えた。もうお話ししたのに、聞いてくださいませんでした。なぜまた、聞こうとなさるのですか・・・」

【チョッと一言】
これが主がエデンの園でアダムに「取って食べるな」と禁じられた「善悪の知識の木の実」をたらふく食べた人間の成れの果て。ファリサイ派だけじゃない。当時のユダヤ人(イスラエル人)社会全体を狂わせた!

このやりとりを見て、「善悪の知識とは何か」その正体を見る。イエスは一言で「見えるようになれ」とでも、優しく無言で「目に触って」見えるようにしてあげれたはずだが、「泥を唾でこねて目に塗り、シロアムの池に行って洗いなさい」と言われた。ファリサイ派をはじめ宗教熱心なユダヤ人たちの「知りたがり=善悪の知識欲」を敢えて煽られたので、まんまと引っかかり、その根本的罪の根を露呈した。「どのようにして=方法や過程」「お前のような奴が=資格や条件」と、質問が何度もしつこい!神の創造について神は、使用前→使用後みたいに途中は明かされない。天地創造も然り!無から有だ。天体のも、空の鳥類の、地上の動植物のそして、人の成り立ちも、その過程について全てその時以来今日までずっと続いているにもかかわらず、万物の創造主であり万物の救い主イエスは、人の好奇心を無視し、天体も、そのプロセスには侵入させない。被造物には必要ない!神の主権には立ち入り禁止!

人間には、「万事益となる」で十分だ!楽しく生きれる!


2018.02.20 Tuesday 06:29
今日のことば comments(0)
【命の木と善悪の知識の木(24)ユダヤ人の過ちを繰り返すな!】
(ヨハネ9:18-22)
それでも、ユダヤ人たちはこの人について、盲人であったのに目が見えるようになったということを信じなかった。ついに目が見えるようになった人の両親を呼び出して、尋ねた。「この者はあなたたちの息子で、生まれつき目が見えなかったと言うのか。」両親は答えて言った。「これがわたしどもの息子で、生まれつき目が見えなかったことは知っています。しかし、どうして今、目が見えるようになったかは、分かりません。だれが目を開けてくれたのかも、わたしどもは分かりません。本人にお聞きください。もう大人ですから。自分のことは自分で話すでしょう。」両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れていたからである。ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである。

【チョッと一言】
功名心が生きがいのファリサイ派の一連の行動、神を信じる者の不信仰って慌てふためき、こんなにも落ち着きがなく、哀れで見苦しいものか。腹立つ前に笑いが止まらん。聖書と善悪の知識の木を結ぶと、即、純粋な神信頼に結びつかないという典型です!学者といえども言葉で表せない偉大な神が、自分が愛し創造する人間に、イエスという人間になりきって世に自分を顕されたと誰が知り得よう!善悪の知識だけでは、神秘主義、御利益主義、律法主義の宗教=キリスト教を作るだけだ。教会もそれに気が付かないと、様々な聖化への教えや一連のカリスマ霊的運動が逆に、イエス第一と十字架の贖いによってしか得られない救いの真髄が薄まる人が続出する!


2018.02.19 Monday 06:29
今日のことば comments(0)
【命の木と善悪の知識の木(23)聖書の専門家のはずが-a】
(ヨハネ9:13-17)
人々は、前に盲人であった人をファリサイ派の人々のところへ連れて行った。イエスが土をこねてその目を開けられたのは、安息日のことであった。そこで、ファリサイ派の人々も、どうして見えるようになったのかと尋ねた。彼は言った。「あの方が、わたしの目にこねた土を塗りました。そして、わたしが洗うと、見えるようになったのです。」ファリサイ派の人々の中には、「その人は、安息日を守らないから、神のもとから来たものではない」と言う者もいれば、「どうして罪のある人間が、こんなしるしを行うことができるだろうか」と言う者もいた。こうして、彼らの間で意見が分かれた。そこで、人々は盲人であった人に再び言った。「目を開けてくれたということだが、いったい、お前はあの人をどう思うか。」彼は「あの方は預言者です」と言った。

【チョッと一言】
イエスが土を使って新しく“見える目を造られた”というのは、心《これも体の一部分だが》だけでなく、イエスは、物質界や人の肉体そのものの創造主であり、法則を意のままに変えることも出来ることを立証する「しるし」です。

また、安息日の規定も、「人は働いてばかりいないで休みが必要だよ」との創造主なる神からの知恵、示唆、助言なのに「戒律」としたファリサイ派の的外れ。平気で反射的に「罪人呼ばわり」する横着さ。一言目から「神に従え」と言いながら自分を神とし、自分に従わせようとする。無神論者より悪い「不敬罪」だ!彼らこそ、自分たちで作った神学「神=イコール=戒律との方程式」で頭がいっぱいになって「善も悪さえも統治するイエス」を「救い主」と見る目が全くない本当に「哀れな盲目」です!


2018.02.17 Saturday 06:29
今日のことば comments(0)
【命の木と善悪の知識の木(22)暗闇に栄光!】
(ヨハネ9:5-9)
『・・わたしは世にいる間、世の光である。こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。そして、「シロアムー『遣わされた者』という意味ーの池に行って洗いなさい」と言われた。そこで彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。近所の人々や、彼が物乞いをしていたのを前に見ていた人々が、「これは、座って物乞いをしていた人ではないか」と言った。「その人だ」と言う者もいれば、「いや違う。似ているだけだ」と言う者もいた。本人は、「わたしがそうなのです」と言った。そこで、人々が、「では、お前の目はどうして開いたのか」と言うと、彼は答えた「イエス」という方が、土をこねてわたしの目に塗り、『シロアム』に行って洗いなさい』と言われました。そこで、行って洗ったら、見えるようになったのです。」人々が「その人はどこにいるのか」と言うと、彼は、「知りません」と言った。

【チョッと一言】
人はアダムがエデンの土を元にして肉体が仕上がりました。世の光イエスは、この生まれつき目の見えないで、誰からも注目されない闇の人を敢えて選び、土を取り、自分の体から出る唾と混ぜて新しい目を創造する(創造主なるイエスの体と一体となる)神の栄光のみわざを体験させくださった!

そのプロセスも訳も分からなくて結構。この人、自分の目を造り直した人物が、どこの誰であるか知るよしもなかった。でも、見えるようになったという事実は確たるもの。否定のしようがない!これこそが、頭だけでしか、戒めとしてしか読めない聖書の専門家を嘲笑うかのような終わりの時代の典型的な恵みのみわざでした!


2018.02.16 Friday 06:29
今日のことば comments(0)
【命の木と善悪の知識の木(21)律法と律法主義者は違う-a】
(ヨハネ9:1-5)
さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業が現れるためである。わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。」

【チョッと一言】
律法は良いものです。相手を思う心配りから出ています。でも律法主義は話が違ってくる。愛から出た取り決めを、戒律のための戒律にし、人の苦悩や不幸を罪の罰だと糾弾する!時代にかかわらず、政治理念、民族、文化の違いを問わず個人個人の中に染みついている!今日も特に宗教熱心者にこの症状が多く見られる。冷たい目線で容易に裁き、自然に反射的に罪人呼ばわりが出てくる。イエスの弟子たちまでもそれが身に付いていましたが、良い質問です。この質問がきっかけで、回答が与えられのですから。

目が見えないというのは目がないのと同じで、夜とを掛け合わせ、律法の意味が本人も世間も分かっていない、とイエスは指摘されました。だが、「イエスはだれの罪の結果でもない。光を創造した私がこの世にいる間に、人の犯した罪の結果の不幸、災いとする幸不幸の論理、社会通念、霊的法則をことごとく消し去り、私が今から未来永劫まで明るい希望で照らす」と明言されたのです。

もし仮に、人の罪の結果で不幸を、災いを招こうが、その原因も私が責任取る、面倒見るとの断言が含まれています。それが最後に十字架上でイエスが神なのに人となって生け贄となられた事実であり、全世界に向けた動かぬ公的証明です!


2018.02.15 Thursday 06:29
今日のことば comments(0)
【命の木と善悪の知識の木慣り返されるファリサイ派、サドカイ派の愚行】
(マタイ16:5-12)
弟子たちは向こう岸に行ったが、パンを持って来るのを忘れていた。イエスは彼らに、「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい」と言われた。弟子たちは、「これは、パンを持ってこなかったからだ」と論じ合っていた。イエスはそれに気づいて言われた。「信仰の薄い人たちよ、なぜ、パンを持っていないことで論じ合っているのか・・・ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種に注意しなさい。」そのときようやく、弟子たちは、イエスが促されたのは、パン種のことではなく、ファリサイ派とサドカイ派の人々の教えのことだと悟った。

【チョッと一言】
聖書の神は実存する天地創造の神であり、今も万物を創造し続け、自分を顕し続けておられる。聖書の神は、幸福論、人の思想や理想の産物ではない。なのに、イスラエルは教えとして作り上げたり、神学でまとめて宗教(ユダヤ教)にしてしまった。たとえ啓示や体験が神からの本物でも、教えや神学に体系づけていく作業過程で自己が入る。そして人々に語るときに自分を神と同等に置いて、神の名を使って自分に従わせようとする。旧約時代で使った「油注がれた」とは今となってはイエスの生涯を、イエスの十字架と復活だけを語るのが、真の油注がれた信徒であり、使徒=預言者=伝道者=牧師=教師です!

先を知るイエスは、当時のイスラエルのことを例に挙げながら自分の昇天した後、世界の教会もイスラエルに似て、次は「キリスト教という宗教を作り、牧会指導や信徒訓練と銘打って指導者個人の教えを広め、自分の王国を作る」と前もって示唆されたと思えてならない。


2018.02.14 Wednesday 06:29
今日のことば comments(0)
【命の木と善悪の知識の木外イ譽侫.螢汽で鼻⇔法学者-b】
(ルカ18:20-23)
「『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」すると議員は、「そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。これを聞いて、イエスは言われた。「あなたに欠けているものがまだ一つある。」持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしについてきなさい。」しかし、その人はこれを聞いて非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。

【チョッと一言】
あなたに出来ないことが一つでもあれば、幸い。そこに救いがある!
沢山あればあるほど良いとは敢えて言わないが、そこをメシア・キリストなるイエスさまが自分の完全な義と聖で埋め尽くしてくれる!そもそも、「良いことしてる」「悪いことしてない」と自慢しても、殊更に善と悪に分けるから清く正しいかのように思い違いするだけであって、それくらい普通並みのこと。それに神は、戒律や法律だからする、しないではなく、自発的な行為を喜ばれます。そして、神が人に対して最も嬉しいのは、「自分には何につけ千年かけても神のようには絶対なれないと悟り、ギブアップし、イエスの前に開き直ること」のほかありません!そういうあなたに対してあらゆる面で完全人間イエスとなった神は、喜んで「あなたの義」、「あなたの聖」として内住される。これが永遠の命です!しかし、自分が認められたい一心の報酬は、悲しみです。


2018.02.13 Tuesday 06:29
今日のことば comments(0)
【命の木と善悪の知識の木屋イ譽侫.螢汽で鼻⇔法学者-a】
(ルカ18:18-19)
ある議員がイエスに、「善い先生、何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と尋ねた。イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。

【チョッと一言】
マタイの方と合わせ読むと、この男は最高議会(サンヒドリン)の議員の一人、ファリサイ派か律法学者だったようです。

イエスに向かって、「善い先生、この地球上だけで終わらない人生を生きるためにはどんな善いことをすれば良いでしょうか、と。それに対して、神だけが善!そして私がその神なのだと。この男性、イエスを預言者、聖書教師、宗教家、哲学者の一人としてしか見えてない。「今も昔もこれからも、善も悪も包括して統べ治める天地創造の神が変身して目の前にいる」とは思いもよらなかったんです。宗教家や哲学者、戒律主義者は、聖書読みの聖書知らず。神を目の前にしても「善悪という自分レベルの次元」でしか見えなくなってて、神だと気付かない。

聖書全巻から答えます。イエスが命の賦与者!この方こそが、この方だけが、私の不義を御自分の完全な義と代える!私の汚れを御自分の完全な聖と代える!私の罪と死を御自分の完全な命に贖ってくださる命の賦与者だと認め、信じ、私の全心と全身体で受け止め、受け入れ、迎えることです!否、イエスが命そのもの!息!命の霊!善い先生どころの話じゃない!


2018.02.12 Monday 06:29
今日のことば comments(0)
【命の木と善悪の知識の木韻Δ未椶譽侫.螢汽で-c】
(マタイ9:9-13)
イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい。」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人たちと一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。」『わたしが求めるのは、憐れみであって、いけにえではない』よはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。

【チョッと一言】
ファリサイ派の連中は、徴税人や罪人を見て、「神を信じているなら、お前たちのようにはならない。」と毛嫌いし、馬鹿にした!そこで、イエスは、ファリサイ派に向かって、「真に神を信じているなら、聖書の意味を取れたなら、自分が見えてくる。お前たちのように自分の義をかざして、裁きまくる傲慢には決してならない!もう一回勉強し直してから帰ってこい!」と言われた。ホントに嫌な奴らだ。

人間が自分の罪人性を思い知らされないことには、他人の人のアレコレに目が行く。人が善悪の知識の木にイエスさま抜きで気を取られると、古今東西老若男女変わりなく、ファリサイ派になる。


2018.02.10 Saturday 06:29
今日のことば comments(0)
1/81PAGES >>