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【十字架に何も加えてはならない】
(ヨハネ19:28-30)
この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書(旧約聖書)の言葉が実現した・・・イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。

【チョッと一言】
イエスさまは、十字架にかかって聖書の旧約聖書の預言者の書も律法(モ-セ五書)をも完全に実現成就しました!旧約の全巻はイエスについて述べています。その後に完成した新約聖書は、今度は「成し遂げられたイエスについて」語ります!そこで、旧約聖書=新約聖書=メシア(キリスト)イエスという方程式が完成した!よくよく言っておきます。彼を信じる者は、神の言葉=すべてに完全なイエスに、仮に良い教えであろうが、偉人と敬われる人であっても、イエスに何か足りないことでもあるかのように人間の言葉を何も、一言も、付け加えてはならない!「神のきよめ」とはイエスを信じ受け入れることの連続の行為ですぞ。信仰義認の繰り返しだ!聖餐式は神の国。罪泥を吐き出す公の悔い改め会ではなく、既に成就した救いの感謝会!

だけど事実、歴史が物語るように、未だに十字架の言葉(イエス)は、生まれつきの思想、哲学、新生していない肉の人のキリスト教会の中で「義人となる訓練訓練」に励み、「良いことを積み重ねれば、神の言葉にずっと聞き従えば祝福される」と、不完全なくせに、やたらと説きたがる人間どもによって軽く見られている。


2017.10.11 Wednesday 06:29
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【改善は人間の宗教!創造は神の御業!】
(競灰螢鵐5:17)
キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古い者は過ぎ去り、新しいものが生じた。

【チョッと一言】
旧約聖書は、神の天地創造から始まる。神は自分が知恵と知識と愛情を込めて造られた全被造物を御覧になり、「極めて良かった」と満足し、讃えられた!どれほど良く出来ているのか、その出来栄えを知るには、神に造られた被造物の中で最も神に近く造られた人間であっても百億年かけても無理なのだ!なのに、不信仰者でも無神論者でもない。神を信じる神の子たちの最初の男アダムも、女エバも「食べると死ぬから食べるな」と警告された善悪の知識に惹かれ、神の創造の世界に頭突っ込んでしまった。人間の歴史は、罪の増産と死を招く原理と法則に縛られることになる。

だが紀元元年、人間イエスとなった神が十字架刑で死んでくれたおかげで神からの罰を免れることになった。イエスが十字架で息を引き取る時、「成し遂げられた!」との大声の宣言は、言い換えれば、「私がやってあげたから大丈夫だよ」という意味。続く復活は救いのダメ押し!

クリスチャンとは、イエスの義とイエスの命で再誕生、再創造された人のことだが、人が解決できない罪と死の束縛を解消してのことだからアダム以上に神の力と恵みによる創造!昨日も言った。善意善行(改善)では人は生まれ変わらない。きよめの神学や教理は人による改善程度。これぞ、エデンの園で創造主が禁じられた善悪の知識の木の実を食べるのと同じ過ち!それよりは真横にいる永遠の命の木イエスさまにくっついて離れるな!


2017.10.10 Tuesday 06:29
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【律法の義だけを追究するなら、先には死しかない】
(ロ-マ3:20)
なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前には義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。

【チョッと一言】
人が義に励むと、致命的な罪を生み出す!益々罪の自覚に苛まれる。その逆もある。達成感が自己満足、自分高揚、自己賛美に続き、高慢という頂上に登り詰め、ゲヘナの奈落に急降下か。これが天使ルシファーの道。律法主義って純粋無垢にはならない!神を誰よりも敬うようで神に敵対する原罪だ!義人にあらず自称義人、自称偽認だ!人は律法の全てを、しかも瞬時も間断なく実行できない!死に至る高慢(地獄の淵)が待ち構えている。「イエスさまと十字架を軽く見るのが善悪の知識の木の実を食べることに値する。」また、恵みを味わっても、恩返しのつもりでも、「これからは神第一、御心に従おう!と必要以上に聖書研究や神学に走ることが、善悪の知識の木の実を食べることだ」となかなか気づかない。自分の義をあきらめ、神がくださる「神が大罪人となって十字架の刑で死に、人の一生分の罪を潔斎し、完全な神の義の称号(罪を犯したことがないという証明書=御墨付き)」を戴く。こんな救済策は人は思い付かない。

エデンの園には一本だけだったが、今や、教会内にもクリスチャンホームにも、クリスチャンのいる所にはどこでも善悪の知識の木の実がいっぱい!イエスが着せてくれる義の貸衣装から自分の義に生きる仮衣装(自称義人)に逆行するな!イエスを主と受け入れる前よりもっと惨めだ!


2017.10.09 Monday 06:29
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メッセージノート(10月8日)

便箋引用聖句(マルコ1:1〜8)

 

神の子イエス・キリストの福音の初め!

 

『悔い改めよ』と言う言葉を信じた人たちは洗礼(バプテスマ)を受けた。条件は言葉を信じるだけです。だれでも自由に分け隔てなく…凄い!

 

ヨハネは、私の後に来る方はもっと凄いと教えています。聖霊で洗礼を授けて下さると教えました。二種類のバプテスマを経てイエスさまとの一体感を持つ本物のクリスチャン(キリスト者)になります。イエスさまにもっともっと近づきましょう♪



2017.10.08 Sunday 15:18
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【神の愛ァ
(ヨハネ3:16)
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

【チョッと一言】
愛された弟子の一人、漁師から最初の使徒の一人に召されたヨハネのことばですが、注目すべきは、「一人も滅びないで」です。何か起こると、すぐに「神が裁かれた!」「こんな事してるから、あんなことしたからこんな事に!」と、誰しも“罰当たりの思い”が過ぎったりする。そのこと自体、不信仰者なんて本当はいないんだ。誰もが神の存在を心の奥底では認めている証拠と言える。でも神について致命的な誤解してる!それは人の潜在意識に神と親しくなっていないとの責めが巣くっているからです。特に、宗教レベルや律法を戒律としてしか思えないまま神との関わりを持ってる人に見られる著しい兆候。一旦、イエスさまの愛にほだされ解放されても、聖書を知識や情報としてしか得てないと、すぐに逆戻りするくらい、罪と罰、祝福と呪いの因果関係を捨てきれない。「祝福と呪い」が混じり合ってイエスさまとの「信仰と親交」も実際は仲違い状態のため、手放しで「ハレルヤ私はクリスチャン」と溢れる明るさがイエスさま信じた人の心体から発せられないでいるのは考えものだ!

そこで先ず、人と違い、神は愛で、その愛とは罪を赦す、その人の罪過ちや信仰の無さ、足りなさを責める前に自分が十字架で負った方という神の真の姿をそっくりそのものズバリ自分の心体に染みこませよう!裁きを考えるのは、最後の最後の最後の最後でも遅くはない!最善はコレ!十字架でイエスさまでいっぱいにしよう!


2017.10.07 Saturday 06:29
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【神の愛ぁ
(ヨハネ3:16)
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。“独り子”を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

【チョッと一言】
土の塵から見事な精神と体の機能を持つ人を創造された思い入れ(愛)を何とかして伝えるために、つまり、神の子たちが善悪の知識を選んで捕まった罪と死の法則から贖い出すために神が考えられた究極の救済策は、神を父、人を子という関係を設定して人間の親子関係とダブらせることで分かりやすくされました。神が人をどれほど愛しているかは、アダムに代わって神が創造された(生まれた)かけがえのない、“独り子イエス”を献げられたことに現れています!

しかも神の子として選ばれ生まれたのに神(親)を信じない「認め受け入れない)私たちを取り戻すため十字架で生け贄にしてまでというほどの私たちへの執着ぶりが凄すぎる!

善悪の知識は、恵みで神の子になったのに、豊かで立体的な創造の法則より、一人前面して“神の御心に従えば祝福される”と、豊かな「立体的な四次元の創造論」一見まともなようで、その実、自分の哲学、宗教観、神学、「平面的な二元論の善悪論」で生きようとする生き方です!


2017.10.06 Friday 06:29
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【神の愛】
(ヨハネ3:16)
神は、その独り子をお与えになったほどに、“世を愛された”。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

【チョッと一言】
天地の神に選ばれたイスラエル。でも自分たちの篤い信頼や善行で選ばれたのではありませんでした!神の愛により、恵みによるものです。だれをも誇らせないためです。旧約聖書の歴史を開くと、これでもか、これでもかと迫り来る無尽蔵の一方的な神の恵みに驚嘆します。恵みと愛は同義語です!信仰者が不信仰でも自堕落でも、愛して止まない神は永遠に祝福し、守られ、執り成される。それこそ人には、恵み!

恵みのゲリラ雨を注がれたイスラエルだが、神ならぬ神を拝み、主から離れて行きました。サウル、ダビデと続いたイスラエル王国は、ソロモンの後、10部族の北王国イスラエルと2部族の南王国ユダに分断。そして北のイスラエルはアッシリアによって崩壊。捕囚の民となる。次いで南王国、弟のユダ王国は次に台頭してきたバビロンによってエルサレムは陥落。崩壊の憂き目に捕囚の身となりました。そういう時に、イザヤを通して(43:1-5)「私の目にあなたは高価で貴い」と!「絶対離れない」と!イエスさまを慕う心のあなたは、たとえダメ男(失礼)、馬鹿娘(失礼)でも「貴重品」に見える!


2017.10.05 Thursday 06:29
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【神の愛◆
(ヨハネ3:16)
神は、その独り子をお与えになったほどに、“世を愛された”。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

【チョッと一言】
神の愛は、無資格、無条件の愛だと言いましたが、“世”とは、イエスさまに関心がない、歓迎しようとしない人ですが、イエスさま信じた後でも不完全なクリスチャン全員を含んでいます!究極の神の愛は、我々一人一人を罪と罰と死と死後の罰から免れさせるために聖なる神がまだ天地を創造する時点で前もって知る神が私の全生涯の不信仰と罪を先取りし、十字架にかかって贖うと決意されました。十字架はクリスチャンとノンクリスチャンの両者のためです!「イエスさま信じたら義に励んで清くなろう」と、宗教僧化した牧師が力説しても、未だに自力で完全無欠になれた人はいません!これ一方的な神のみわざ。真剣に頑張った人だけが分かる領域ですが、どんなに悪を憎み、善に励んで頑張っても、失望か横着の狭間で「苦しいチャン」になるだけ!イエスさまが成し遂げてくれる!思いきって言いますが、「生んでください」とお願いして生まれた人は誰一人いない。十字架場で最後に叫んだイエスさまの宣言に恵みの始まりだけでなく完成されました!


2017.10.04 Wednesday 06:29
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【神は愛 
(ヨハネ3:16)
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

【チョッと一言】
神が世を愛された!?教会に行って初めて聞いた方は、慣れない表現に戸惑いを覚える人もいます。愛って人と人との関係でつかう用語だとの先入観もあります。どちらかと言えば、聖書では神との関係において使われることが多く、その意味では聖書で使われる「愛」に匹敵する言葉は、昔の日本にはなかったと言えるでしょう。クリスチャンになっても真に分かっているかとなると疑問です。狭い意味で言えば、聖書に言う愛は神にしか使えない、神の属性です。

イスラエルの国でも旧約聖書にも出ていますが、イエスが来られた新約聖書から頻繁に使われるようになりました。新約聖書はコイネーと呼ばれるギリシャ語で書かれていて、ギリシャ人らしく、フィレー(兄弟愛)、エロス(男女の愛)、アガペー(神の愛)、ストルケー(親子の愛)とか使い分けています。でも私には、愛は人間関係や神との関係に分類しなくても、本質は同じ。さらに厳密に言えば、愛は神にしか使えない単語だとも思う。人の愛には資格や条件がつきもの。「・・だから」の愛。「・・すれば」の愛。それに対して神の愛は、「○○でも」の愛される価値がなくてもの無資格、無条件の愛です! 


2017.10.03 Tuesday 06:29
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【極めつけの恵み!恩返しを求めないイエス】
(ヨハネ3:16-17)
神は、その独り子=イエスをお与えになったほどに世=信じる前のあなたを私を、愛された。独り子イエスを信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るため。

【チョッと一言】
律法は、本来良いもの。しかし、良くも悪くも人次第で悪いものにもなる。偏り過ぎて違反しなかった人まで違反者になる要素が律法にはある。律法の全部を一つの取りこぼしもなく、一秒の間もなく違反しないなど絶対できない。違反者だけでなく、正しい人の犯す最たるものがサタンの道で、神が最も嫌われる高慢!違反者を見下げ、「私にはこの種の違反には縁がない」と嘯(うそぶ)く。よく耳にする「私は主に従っているから、祝福された」の証しは、傲慢と隣り合わせ!誰にもこの傾向がある。

神は、違う。神だから違う。神は人の罪を“ことごとく、一つも漏れなく知っているだけでなく”、“完璧には実行できないことも知っているからこそ”自分に負わせ、代わって神と人の関係を父(神)と子(イエス)という設定で十字架の死罪で全件落着と相成った!それだけじゃない。人に代わって律法も預言書も完全に代行された!それでも私の神は高慢の罪を犯さない!

だから、イエスさまに「ありがとう」の気持ちを失うな!私のイエスは、それ以上問われません!これが、ハッピーなクリスチャンライフです!自分に自信があるのならイエスさまのもとに来なくてもいい。


2017.10.02 Monday 06:29
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